芸術面と主観性について

氷上の妖精たち(安藤美姫ほか) 2006年度 カレンダー


チョット前まで、野球ファンやバスケファンとよく議論した。
そんな時、先方が思いっきり主張してくるのが“逆転のスリル”。
「逆転ホームランが無い」「逆転の3Pショットが無い」・・・・
確かに、そのとおり。
蹴球には一瞬でゲームを引っくり返すプレイは存在しない。
数年前のCL決勝、マンチェスターUtd vs バイエルンの様な
蹴球界で語り継がれる大逆転劇なんてのは、
短時間での逆転劇ではあるのだろうけど、
一瞬ではないし、ワンプレイでは決してない。
蹴球にその概念を取り込もうとすると、
超ロングシュートは2点、超スーパープレ−は3点・・・・・
なんて概念になってしまう。
簡単なロングシュートもあれば、困難な至近距離シュートもある。
スーパープレーなんて、はっきりいって認定困難・曖昧模糊であるし・・・・・
こんな回りくどい冒頭で何が言いたいのかというと、
芸術性での評価ってのは、小生の理解を超えているってことだ。。


先週末はフィギュアスケートのグランプリファイナルがあった。
トヨタカップがあったのでオンタイムでは見ていないのだけど)
小生は蹴球素人である以上にフィギュア素人なので、理解半分ってトコ。
そのなかで、実況解説の人が
「今期の安藤美姫選手はアメリカに渡り表現力を身につけた・・・」
というような事を言ってた。
要は、技術面でなく芸術面を強化した・・・ってことらしい。


そんな芸術性は、見聴きする人間の主観に拠るところが大きいし、
厳正な審査採点の妨げになるのではないかとも思う。
実際、フィギュアのペアでは、不正審判が追放されたりもしたし・・・


フィギュアスケートが技術面と芸術面から審査されているが、
スキーのジャンプも、飛型点が存在する。
(↑飛型を考慮しないジャンルもあるそうだけど)
ただ、純粋に飛距離を競えばよいのに・・・なんて無粋なことを考えてしまう。
100m走で1着入線するも「走るフォームが汚いから、あんた2位!」
って言われるのとど同じ気がするわけであります。
でも主観競技って最近多くないですか?
モーグル・・・フリースタイル・・・トランポリン・・・


各競技者の熱意に水を指す意図は皆無なんだけど、
そのような主観競技で釈然としないコトって皆さんありませんか?
安藤美姫には、五輪で4回転飛んで金メダルを取って欲しいし、
浅田真央にも五輪に出場して活躍して欲しい。。
中野友加里には、小生は芸術性を感じないので、荒川静香に出場を願う。
と、まぁ勝手な主観が跋扈しちゃうのだ。


ワーグナーの荘厳さに惹かれる人もいるし、重さを敬遠する人もいる
アマデウスの軽妙さに魅せられる人もいるし、軽さを嫌悪する人もいる。
東京交響楽団NHK交響楽団よりも
千葉のアマチュアオケに感動の涙する人もいる・・・・・


そんなレベルでないかと思っているのです。。


さて、蹴球に目を向けると・・・・・・
リアリスティック・システムチックなチームは、未だに強固。
そんな成績面も考慮されるんだろうけど、
成績面のみならずそのプレイぶりから、選ばれることが多い。
昨日のロナウジーニョFIFA最優秀選手受賞もしかり。。。
これによって、バルセロナの順位が上がるわけでもないし、
ブラジル代表のFIFAランクが上がるわけでもない。
(両方とも、これ以上上がらないわけなんですが・・・)
ただ主観で選ばれる名誉であり名声であり・・・・・
こんな感じで良いバランスなのかなぁ〜と。
蹴球贔屓に思う今日この頃です。





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